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三十路・四十路になって気づいたこと ブログネタ:三十路・四十路になって気づいたこと 参加中本文はここから今日のこのブログネタ、昨年の暮れに43才になった僕が『これから三十路を迎える若者(男性限定)』に向けて何か参考にしてもらえる事があれば嬉しいので、たまには人様のお役に立てるように心掛けながら今日はブログを書き進めたいと思います。・僕が三十路になって自分自身の身体と心の変化に気付いた事・・・・は、これと言って何もないんですよね、単に『年齢が20代から30代になった』って数字的な変化ぐらいしか意識していませんでした。・それがですね、30代の後半、35才を過ぎた頃に気付いたのが『性欲の衰え』なんです。・この変化、寝ても覚めてスケベの事で頭がいっぱいだった10代後半から20代の頃には考えられない変化、このブログを読んでくれている若い男性の大半は「俺に限ってそんな事にはならない」と思っているでしょうし、現に20代の頃の僕も目上の男性からそんな実情を聞かされたところで全く信じていませんでしたし、それが気付けば若かりし頃に比べて肉体的にも精神的にも性欲が落ちている自分の変化に気付いた時には『悟りの境地を開いた』ぐらいに驚いたのが実情になります。・これはあくまで主に内面的な変化なので気付かない男性もいれば、気付いたとしても自分で認めなければ済む変化になるのですが、認めざるえない確実に気付く外面的な変化として『下半身の陰毛が薄くなる』なんです。・僕が最初にこの変化に気付いたのは四十路を目前にした38才の頃だったと思いますが、男にとって雄ライオンの鬣(タテガミ)と同じ役割を果たす陰毛の減少には性欲の衰えよりもショックを受けた事実、でも人間の雄として生を受けたからには避けられない変化だと知ったので、四十路を迎えた今は悪あがきを考えないで自然の流れに身を任せるようにしています・・・・と説明すると「なぜ人間の雄の陰毛が三十路後半を過ぎると薄くなるのか?」と疑問に思う女性がほとんどだと思うので、この現象について少し詳しく説明したいと思います。・現代の人類の祖先が類人猿から進化を遂げて今の身体になったのは誰でも知っている話ですよね?・ではどうして全身の体毛が衰退をし、髪の毛、眉毛、脇の下、局部の体毛だけがフサフサな状態で残っているのか?・それは『森で暮らしていた類人猿が海辺で暮らすようになり今の人間へと進化した』からだそうです。・森で暮らしていた類人猿がなぜ海辺で暮らすようになったのか?・までは詳しく知りませんが、人類が今の体毛の形状に落ち着いた過程を簡単に説明をいたしますと・・・・それまで大地の糧を頼っていた食料を海の幸に求める、泳ぐ技術を持ち合わせていない二足立ちの類人猿にとって主食となるのは浅瀬に生息する小魚や貝類、小さいながらも豊富な海の幸を採取する為に長時間の水中歩行をするにはフサフサな体毛が邪魔になる。↓そうして全身の体毛が退化。↓でも直射日光から頭を守る為に頭髪が残る。↓その頭から流れ落ちる汗が目に入らないように眉毛も残った。・との事情から人類は産まれながらにしてこの部分の体毛を保っている訳ですが、それでは「どうして局部の体毛の方は成長の過程でフサフサになるか?」って疑問に思いますよね?・その答えは『海中において局部を守る』との至って簡単な理由になります。・医療関係者ならご存知だと思いますが、人間の脇の下と股間には物凄く太い血管が通っているので、その血管を見えない海中で傷を付けない為に入り組んだモジャモジャな体毛が生える訳です。・だから危険な海に入る機会の少ない子供に陰毛は必要がなく、身体が大きく成長をし、海で食料を探すようになると陰毛が生え始める仕組みになっているそうです。・それでは今から本題の「どうして三十路を過ぎると陰毛が薄くなるか?」についての説明をします。・野生の類人猿、最も人間に近いとされるチンパンジーの平均寿命は40~50年、縄文時代の人間の平均寿命が40年、その年数を考慮すると海辺で暮らし始めた人類の祖先も30才を過ぎると御老体の部類に入り体力を必要とする海には入れない身体に、そうなると自分で食料を調達できなければ野生のチンパンジーには死が待っているのみなのですが、海辺で暮らすようになった類人猿は単なる『群れ』としての集まりではなくなり『共同生活』なる、それぞれが出来る事で群れに貢献をする共同体として生活をするようになった訳です。・そうして海に出られなくなった30代から陰毛も薄れ始め、40才を過ぎれば天寿をまっとうしていた類人猿の中にも稀に長生きをする個体も存在するようになり、その御長寿類人猿が共同生活の中で食料を分けてもらう為に何を役割りとしていたと思いますか?・その答えの中にこそ類人猿と人類との決定的な違い、人類が人類たる由縁『火を使う』が大きく関係をしており、その遺伝子を受け継いでいるからこそ現代の人間の雄が四十路を迎えると身体に劇的な変化が起こる本質が含まれています。・そうなんです、海へ出られなくなり自ら食料の調達が困難になった長寿類人猿は『火の番』をする事により群れの中で食料を分け与えてもらうようになったんですよ。・太古の類人猿が火を使うようになったのは『落雷』や『火山の噴火』による山火事の残り火が始まり、今みたいにライターやマッチの存在しない原始時代にとって火を絶やすと言う事は生活そのものを失うのと同じ、そこで海に出られなくなった40才過ぎの類人猿はそれなりの知恵を活かし火の番をしていた訳ですが、そうなると絶えず煙との格闘が続く事も自然の摂理ならば、その煙に対抗する為に鼻毛が伸びるのも生き物の防衛本能、そのおかげで現在の人間の雄も40才を過ぎると鼻毛の伸び方が急激に早くなる、現代でもその変化を身を持って体験をしている男は僕だけではなく、ほとんどの人間の雄が四十路になって気付いた自分の身体の変化になります。・これは類人猿時代の雄が子育てとは無関係な暮らしをしていた頃から今の人間の男が受け継ぐ遺伝子、ってな学説を以前、深夜に放送されていた教育テレビの進化論特集番組で見て得た知識になりますが・・・・若い男性や女性からすれば「そんな原始時代の話をされてもにわかには信じ難い」と思う人が大半だと思いますので、今からは皆さんも時代劇等で馴染みの深い江戸時代から明治にかけての話を絡めて説明するので、その話を読んだ後に僕が語っている『三十路~四十路にかけての男の気付き』が単なる作り話かどうかを判断して下さい。・時代劇等でもお馴染みのはずで江戸時代に生きていた日本人の成人男性の髪型と言えば『ちょんまげ』なのは誰でも知っている事実ですよね?・そのちょんまげは何の為にあんなめんどくさい髪型になったかは知っていますか?・一部には『戦国時代に兜を被る際に頭が蒸れないように隙間を作る為』との所説があるようですが、それならば現代の相撲力士のように単に髷(マゲ)を結えば済む話なのに、それが何故わざわざ頭頂部をツルツルピカピカに剃り上げて『月さや』と呼ばれる髪型が主流になったのか?・それはやっぱり三十路から薄くなる局部の陰毛に関係がしているんです。・今の日本人男性の間でもそうであるように、江戸時代の男にとっても下半身の陰毛は雄ライオンの鬣と同じように男の威厳を表すステータスでもあるのに、それが三十路を過ぎた頃から段々と薄くなるのは悲しい男の定め、どうにかその悲しい定めを少しでも和らげる為に下半身の陰毛が全て生え揃った頃、年齢にして14才~16才の頃に成人した証しと共に「髪の毛は薄くなってもいいから局部の陰毛は今のままフサフサとしていて欲しい」との呪い(まじない)の意味を込めた儀式が『元服』と呼ばれる髷結いの儀式として受け継がれたそうです。・では何故この『月さや』なる髪型と男の切ない願いを込めた『元服』なる儀式が明治維新と共にこの日本から姿を消してしまったか?・その理由、江戸時代から続く長い鎖国政策が終わりを告げ明治維新と共に日本に大挙して押し寄せて来た舶来人、現代の欧米人男性が陰毛をツルツルに剃っているのと同じように当時の西欧人男性にとっても『陰毛は不潔』との認識があり、日本人もその考えに少し感化をされ、心の中ではフサフサな下半身に憧れながらもパッと見で解る、しかも手間のかかる『ちょんまげ』と言う髪型が姿を消す事になりました。・その当時は「散切り頭を叩いてみれば未来薄くも気にならず」なんて言葉が大流行したそうです。・その変わりに男の威厳を保つ為に西欧人が持ち込んだオシャレ、それは歴史の教科書に載っている偉人の顔を見れば一目瞭然、ズバリ『鼻の下の髭を伸ばす』なんです。・これはいち早く産業革命を成し遂げた西欧にとって食糧難で飢餓を迎えるなんてのはすでに過去の話になり、太古の昔、類人猿の時代から『長老=知識の塊』との認識から、鼻毛が長ければ長い程に知識が豊富で賢い男だとの、武道よりも文学科学を重んじる中で威厳を誇る為に、鼻の下の髭と伸び放題の鼻毛を伸ばすスタイルが流行した訳です。・この話は図書館で借りた『明治維新の面白い裏話』みたいな本で説明をしていました。・・ここまでこのブログを読んでも僕の話を信じてくれない人はそれでいいですが、僕が三十路~四十路になって気付いた身体の変化は『局部の陰毛が限りなく薄くなるが、その変わりに鼻毛の伸び方が急激に早くなる』です。・だからこれから三十路を迎える男性は陰毛が薄くなったからとショックを受けないで下さい。・急激に伸びる鼻毛のお手入れを怠らないで下さい。・その変化はあくまでも平均寿命が40歳だった原始時代の遺伝子を受け継いでいるからで、平均寿命が延びた現代人においては五十路に入る頃には、下半身の陰毛も鼻毛の伸びる早さも20代の頃に戻るそうですからね。・まあ、あくまでも個人差があるので、中には全く変わらずに還暦を迎える男性も少なからず存在するのも事実だそうです。・・・・・・・・・・・・・・・・・あ、そうそう、もう少しで忘れるところでしたが、これは僕だけが気付いた事かも?・それかアメブロを始めたせいかも?・のどちらかは解りませんが、僕は四十路になってから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『とんでもないホラ話を考えるのが大好きになった』・と気付きましたね(-_☆)・・・・信じるか信じないかは・・・・・・あなた次第です・・・
楽しい時間と息子の成長。 2016-01-24 16:49:17 テーマ:欄外 今年楽しみにしていること ブログネタ:今年楽しみにしていること 参加中本文はここから僕が今年に楽しみにしてる事は・・・やっぱり1ヶ月に1回『子供たちと会って晩御飯を食べる事』やね。・言うても、これは今年に限らず離婚した4年前から、来年も再来年も、これから先もずっと『楽しみにしてること』には変わりがないけど、離婚をした当時は5才か6才やった息子も今年は中学生になるんで、今は一緒に晩御飯を食べに行っても楽しそうにしてくれへんのがちょっと寂しいのもありますね。ここ数年の息子は自分が御飯を食べ終わったらいっつもDSに夢中で自分から話しかけて来るなんかは先ずないし、8才の妹に対しては「早く食べろよ」みたいな事を口走って、自分は早く帰りたそうにしてるし、まあ、それはそれでしょうがない事やし息子の成長に対しては素直に嬉しい思いにもなっています。・その無愛想な息子の代わりと言うか、8才の双子の娘がまだまだ「お父さん!」って慕ってくれるんで、僕にとっては今年も来年も子供たちとの会食が一番の楽しみにしてる事に変わりがありませんね。・その1ヶ月に一回の会食とは別に毎年の楽しみにしてるんが『ゴールデンウィークとお盆休みに子供たちと映画を見に行く事』やってんけど、この楽しみも今年の息子、中学生になった息子は友達との付き合いの方が忙しいやろうし、たぶん今年は娘たちと3人で映画を見る事になると思っています。・正直な気持ちを言うたら息子の成長が寂しいのは寂しいけど、僕自身も中学生の頃は親と出掛ける事なんか無かったし、いつまでも親にベッタリより沢山の友達を作って欲しいと思ってるんで、僕との用事よりも友達との約束を優先してくれる方が嬉しいのも本音、離婚をした当時はほんまに子供やった息子が段々としっかりとした男、たくましく1人の男として成長してくれるんは元嫁にとっても頼もしい限りやしね。・それでね、今年の初め、2016年の最初に子供たちと晩御飯を食べた時、久しぶりに楽しそうにしている息子の姿、今年は中学生になるお兄ちゃんとしての息子の優しい性格を垣間見る事ができたんがめちゃくちゃ嬉しくて、僕も心から楽しい気持ちに包まれたんですよ。・その時の状況、ここからは僕が『今年に一番に楽しみにしてる事』の話に繋がりますんで、やっとブログネタの本題に入ります。・今年の初めに書いたブログでも説明してんけど、昨年の暮れ、31日の大晦日にオーストラリアに在住してる姉と中国人の旦那さんと2人の子供が来日しまして、姉家族と会うのは僕自身も4年ぶりで楽しみにしてたけど、僕の子供と姉家族が顔を合わすんは初めての事、姉の子供は9才と5才の男の子が2人、僕の子供は11才の息子と9才の双子の娘の3人、姉が今回に来日したんは『子供たちに雪遊びをさせてあげたい』って目的があったからで、僕の子供たちとみんなでスキー場に行ったら「年齢の近い子供同士でめちゃ楽しい思い出になるやろうな」って、僕自身もめちゃくちゃ楽しみにしていました。それで今年に初めて子供たちと元嫁と会ったんは1月の5日、僕のおとんとおかんと姉家族と一緒にバイキングレストランで晩御飯を食べた時、おとんの車には全員が乗られへんから僕は1人で自分の車に乗って少しだけ早い目に約束のお店に着いて、少ししたら元嫁と子供たちもやって来たんで、ちょっと堅苦しいながらも年初めの挨拶を交わした後、息子に「マイケル(姉の長男)は英語でしか喋られへんけど、日本語は聞いて理解できるからお兄ちゃん(僕の息子)からかまってあげてな」ってな感じのお願いをしました・・・と言うのも、4年前に僕がオーストラリアに行った頃のマイケル、姉が意識をして日本語で話し掛けるようにしてたみたいで5才にして日本語も英語も中国語(たぶん)もペラペラ喋れてたし、日本の子供とはレベルの違うヤンチャぶりを発揮してたのに、今回に来日したマイケルに会ってびっくりしたんが『日本語を喋られない』と、その事が関係してるんか?・それとも日本に来る前に一週間か二週間を義兄の実家、中国に滞在してから日本に来た気疲れ?・のどっちかは分からんけど、4年前にオーストラリアで見ていたマイケルとは全く違うシャイな子供に変わってて自分からは何も話し掛けて来ん状況やって、それで僕も片言の英語で話し掛けてはいたけど楽しい会話にもなれへんし、マイケルに楽しんでもらうには年齢の近い僕の息子に頼るんが一番やと思ったんです。・それでいざ姉家族と僕の子供たちとの初めての顔合わせになると、息子も娘も僕の姉を「叔母さん」と言われてもピンと来ないみたいな感じでよそよそしくて、それはそれでしょうがない事やし無理に愛想良くさせる必要もないんで自然の流れに任せてた訳やけど、息子は僕が思ってる以上にマイケルとマッシュ(姉の次男)に気をかけてくれて、マイケルが何か席を立つたんびに一緒に着いて行ってあげて、日本語を喋れない外国から来た従兄弟と仲良くなりたくてしょうがない感じでした。・たぶんあれやろね、嫁方の従兄弟はだいぶん年上やし、初めて会う自分と同年齢の従兄弟と会うんがほんまに嬉しかったんやと思うし、年上として、従兄弟のお兄ちゃんとして年下のマイケルの世話をやきたくてしょうがなかったんやと思います。・それで最初の方はよそよそしかったマイケルも段々と僕の息子に気を許したみたいで、姉の旦那さんのスマホの翻訳機能を使って会話をして笑ってると思ったら・・・・やっぱりヤンチャな男の子、何を翻訳させてるんかと聞き耳を立てたら「マッシュはウンチで〇〇〇〇です」とか、この年頃らしいほんましょうもない文章を翻訳させて楽しんでたんよね、そのスマホの翻訳のおかげでそれまで緊張してたぽっい娘2人も大笑いして、マイケルが日本に来てマッシュとの会話以外に心の底から笑顔を見せてくれたんはこの時が初めてです。いっつもやったら自分が御飯を食べ終わったらDSに夢中になってた息子もこの日はマイケルとマッシュに夢中になってくれて、普段やったら写真を写すんも嫌々そうにしてるのに、この日の息子は自分から進んでマイケルとマッシュの横でポーズを取ったりの、初めて会う同年代の従兄弟で自分も嬉しかったんやろうけど、遠い外国から日本に来た姉家族を心からおもてなしをしてくれたんは、僕にとってもほんまに嬉しくて幸せなひと時になりました。・それでも楽しい時間ってのは早く過ぎてしまうもんで、マイケルもマッシュもやっと僕の子供らと打ち解けたと思ったら時間制限の90分が来てもたんでこの日はお開きになったけど、普段は妹に対して冷たいのに年下の従兄弟に優しい息子の成長を存分に感じれた90分、次はみんなで雪遊びをしにスキー場へ行くんを楽しみにお別れをしたはずが・・・・このブログを読んでくれてる人も知っての通り、この冬はどこのスキー場も雪不足、地元の兵庫県内のスキー場情報を調べてもどこもかしこも雪が無い状態に『一部滑走可能』のスキー場があったとしても、人工降雪機で一部のコースに雪を積もらせてるだけ、そんなスキー場で子供らが存分に雪遊びを楽しめる訳は無しに、先週にやっとまとまった雪が降ったと思ったらみんなの都合が合わせられんかって、結局みんなでは雪遊びをできんかったまま姉と甥っ子は29日にオーストラリアへ帰る事になっています。・そやから今年に一番に楽しみにしてた『姉の子供と僕の子供とで雪遊び』って望みは叶わんかったけど、息子が「少しでもマイケルとマッシュと遊びたい」って言うてくれたらしくて、元嫁も「せっかくやから最後に子供たちみんなで遊ばせてあげたい」って、今日の夕方になんとか時間を作ってくれたんで今からみんなでスーパーのキッズランドかどこかで遊んで、その後は僕のおとんとおかんと合流して回転寿司を食べに行くのが、端から見たら何でもないような事やろうけど、僕にとっては『今年楽しみにしていること』の一つです。・・ほんでね、次に『今年楽しみにしていること』は何やろか?・って考えたらね、4月、息子が中学校に入学をして、真っ黒い詰襟の学生服に身を包んでる姿を見る事、離婚した当時は小学校2年生やった息子、色々と不憫な思いをさせてるけど、息子が、しっかり者の優しい大人の男への階段を一段上った姿を見るのが、次の『今年楽しみにしていること』になります・・・・言うても、僕は入学式に行く事もできんし、息子の学生服姿を見るんは元嫁が送ってくれる写メ、照れ臭そうにまだまだ子供の表情をしたままのお兄ちゃんの姿やと思いますけどね。・・たまに関西弁でブログを書くと、読んでくれている人には読みにくいかも知れませんけど、僕は思ったままの事を文章にできるんでタイピングもスラスラと進みますね。・・後、昨年も一昨年も楽しみにしてたけど叶わなかったのは『人気ブログランキングの1位』ですが、今年も昨年同様に自分自身も楽しみながらブログを頑張りますので、ブログ以外に趣味の無い僕の楽しみを応援してくれるつもりで、下のバナーをクリックしてもらえると嬉しいです。